高瀬晶子

宇都宮講演会

1966年栃木県生まれ。那須雪崩事故で次男淳生(あつきさん)を亡くす。高校教員だった高瀬昌二さんと結婚し二児の母となる。ソフトボール部顧問だった昌二さんは生徒の指導に情熱を注いでいたが、淳生さんが11歳の誕生日を迎えた日に癌で亡くなった(享年46歳)。3年間の闘病の末に父が亡くなったことで、淳生さんは本来の姿を失っていった。淳生さんが14歳の時に、彼が計画して四国の遍路道をいっしょに歩いた。そのころから元気を取り戻し始め、大田原高校に入学すると山岳部に入部。「山岳部はすごく楽しい」と重いザックを背負い、家から公園まで走って自主トレをするようになった。淳生さんが救出されたとき、意識がなく、呼吸をしていなかった。集中治療室で面会すると人工呼吸器が付けられていた。晶子さんは、「世の中の役に立ちたかったはずだ」と角膜移植を決断した。「どうして淳生は死ななければならなかったのか。真実を知りたい」と願いつづけている。