自己責任を果たすなら、山から生きて還る〜山から遺体で帰る人〜
自己責任を果たすなら、山から生きて還る〜山から遺体で帰る人〜
私は雪崩で死んだ人の遺体を見て深い哀しみを覚える。死を免れることができただろうに・・・と思うからだ。
北大山スキー部に入部したのは1973年。翌年3月、無意根山で北大エレガントスキー部の5人パーティーが雪崩事故を起こし、二人が行方不明になった。
無意根山には山スキー部の小屋があり、私たちは地形を熟知している。事故の翌朝、豊羽から入山し、捜索に向かった。発達した日本低気圧が東へ去り、快晴になっていた。上級生たちが先行し、私は捜索に使う建築用の長さ4㍍の鉄筋を運んだ。そのころ携帯できるゾンデ(プローブ)はなく、雪崩捜索に建築用鉄筋が使われていた。
稜線に出るまでいくつもの自然発生した雪崩のデブリを見た。雪崩が起きる条件がそろっていたのだ。彼らは長尾山付近から無意根小屋へ下ろうとしていた。
「ルートを間違えている」
山スキー部は稜線から小屋へ下るとき、西壁にある小さな尾根を使う。雪崩の危険を避けられる安全なルートだ。彼らはその尾根を知らなかったのだろう。斜度30度をほどの斜面が、事故現場だった。
遺体はすでに、上級生たちによって掘り出されていた。
「一発目のゾンデが身体にあたった」
と上級生が言った。上級生たちは5名が亡くなった旭岳盤の沢雪崩事故(1972年)を経験している。事故後に雪崩のことを学び、埋没可能性が高い地域がどこなのか知っていた。もし彼らが雪崩知識を学んでいたら、仲間を見つけ、生存救出することができたのではないか。
私たちは二人の遺体を大蛇が原まで運び、北海道警察航空隊のヘリに載せた。遺体となって山から帰るエレガントスキー部の二人。自己責任で山へ行くなら、生きて還って責任が果たされると思う。二人に生きて還って欲しかった。私は、去りゆく道警ヘリを見送った。